『ライ麦畑でつかまえて』

最近、読み終えた。
名前は聞いたことがあっても一読した事なく、今回やっと読んだ。

キャッチャー・イン・ザ・ライ

キャッチャー・イン・ザ・ライ


所々共感できたのは、自分が寮学校を出ているからだと思う。
主人公ホールデンの、予定より早くの帰省による見つかって問い質されるんじゃないかって言う焦燥感、そのため親に見つからんとする態度。
これらはすごく共感できた。
この感覚は寮学校出身でなければ、あまり共感出来ないと思うし、ホールデンのクローゼットに隠れて母親をやり過ごす緊迫した感覚も分からないだろう。


そしてホールデンの潔癖すぎる思想や性格は実に思春期の人間らしくて、真っ白なキャンパス並みの純粋無垢さを感じた。
しかしそれはホールデンしてみれば実に陳腐な比喩で、そんな事を言えば気が滅入ってしまうだろう。
本人にとっては純粋でもなんでもなく、本当になんでもないのだろうから。
あくまで自分はそう感じる、と言うだけであって、他者を認めぬ自分の非も認めている。
その矛盾や、他人と自分のちょっとした思想との埋まらぬギャップにもんもんとして、吐き気すら催すホールデンは純粋というより、潔癖症と言った方が適切かもしれない。
しかしそれでも生きていかなきゃならない。そんな現実を、彼はまだ見たくはない。
例え酒を飲んでべろんべろんに酔っ払っても、本人にはそれで酔って吐こうが重要ではないのだ。


重要なのは、あくまでそれを自分で『子供らしい』と分かっている事で、本人は決して大人ぶってるつもりはない事だと思う。
ホールデンは一種の『逃げ』を行っているのだと、それは自分でも根底で分かってる。
それが『逃げ』だと分かりつつも、周りの下種に見える人間を一瞥すると、自分も同じような下種になるなら逃げた方がマシだと考える。
文中、誰でもそうだよね?と綴られるホールデンの問い掛けには、読者全員が頷くわけではないだろう。
しかし、それでも彼は、まるで思春期の人間全員を取って集めたかのような繊細さを持ち、そしてそれを隠す事無く、如何なく文中にてそれを披露している。彼に同意できる箇所は、少なからず誰にでもあると思う。


あと、ホールデンの所々にある『参ってしまう』ような状況や心境は、幾分か共感できた。
自分の場合、少女とはもう呼べない歳の若い女性が、全身しまむらファッションなんかだと同じように『参ってしまう』。
そういった格好をして堂々と大通りを歩くさまを想像すると、まさしく参ってしまう。
なんか、滑稽と言うよりはむしろ哀れみを感じてしまい、やるせなさと同時に吐き気すら感じてくる。
本当に参ってしまうよ。これはマジで。


読んでいて一番に印象的だったのは文体。
語り部と言うよりは喋り掛けるような文体は、自分でも予想外なほどすんなり受け入れられた。
これらはとても読みやすく、そしてホールデンの思いや情緒が幾分も分かりやすい。
それはもはや、情緒がえぐり見えるほどに分かり易く、そしてあとは家族愛について。