『情動シミュレーション』について

あるサイトで『情動シミュレーション』という面白いものが紹介されていた。
情動シミュレーションとは、理解力を上げるための読書テクニックとのことで、
『作者や登場人物の情動回路を自分の脳内で動かすことだ』と述べられている。
また、『作者や登場人物になりきって作者や登場人物の目から見える世界を思い浮かべ、
作者や登場人物が感じた息苦しさ、悔しさ、理不尽さ、憤りを自分も味わってみることだ。』
とあるので要するに、よりよく感情移入しろ!、ということだと思う。
記事内には、この情動シミュレーションを行う人は、そうでない人に比べ、
読書での理解力の質や、その他の部分においても、雲泥の差が出るという。
なるほど、と思ったし納得もした。
しかし、情動シミュレーション=感情移入であれば、誰しもが行うことである。
それは、特に子供時代には経験しているはずだ。
自我が形成されていない子供は、マンガやアニメのヒーローに憧れ、そのヒーローに自我
を見出そうとして、感情移入という形で意識を投影する。これが情動シミュレーションといえる。
子供はヒーローの一喜一憂に、まるで自分のことのように反応する。そこまで入り込んでいるからだ。
なので、子供の頃には無意識に誰もが情動シミュレーションを行っている。
ただ、問題は大人の場合である。大人になると、既に自我が形成されているので、マンガやアニメ、
今回の場合は読書における主人公に対し、投影はしない。子供のときとは違い、自我を持ちえた大人は投影をしない。
もしするとしても、無意識のうちにまず自我に投影を行ってしまう。そのため、子供のときのようにヒーロー
やヒロインに感情移入は出来ない。自我に投影をしているので、感情移入できるのは必然的に自分に近い登場人物のみ
になってしまう。こういう状態に見ず知らずのうちに陥り、例の情動シミュレーションが出来ていない状態になってしまう。
ただ、前記に述べたとおり、誰もが一度は経験したことであり、それを形成された自我によって行いにくくなっているだけに過ぎない。

だから意識的に情動シミュレーションをしろっていうのは、要は童心に帰れってことだ。