実は「騙すより騙される」方が得な訳

まず初めに言っておくが、これは決して道徳的な話ではない。あくまで論理的な観点でのことだ。
簡単に言うと、騙すほうの方が結局は多く金銭を失う結果になるからだ。
まず、騙すほう方が持つ羽目になるデメリットについて。
そのデメリットとは、いくつもあるが特に大きいものは、良心の呵責だ。
なんだ、結局は道徳的なことじゃないか、と思うかもしれないが、そうではない。
実は、良心の呵責は身体的な面にも大きな影響があるのだ。
一般に人は無意識の中に様々な感情を作る。それが表面化すると、体に症状となって現れる。これが大きい。
よく人にきつく当たっていた人が晩年には病気になり、亡くなると、まさに因果応報だって言われたりするけど、実は違う。
本当は、自分自身が無意識に自分を病気にしているのだ。
無意識の中では、罪の意識に対してはとても敏感で、常に平穏を求め、罪の無意識がある場合、これを合理化しようとする。
そして、表面上でどうしても合理化できない罪の意識がある場合、自身を病気にすることで合理化を図ろうとするのだ。
こうしたことにより、騙したほうはまず身体的・精神的ハンディ(病気)を背負う。これに対する治療費が膨大に掛かる。
よって、実際は騙し取った金額以上の医療費が掛かる。
医療費なんて関係ないほどの大金を騙し取ればいいんじゃね?て思うかもしれないが、奪う金額が大きければ大きいほど、それに比例して負うハンディは大きくなる。罪の無意識が大きくなるからだ。騙す金額が大きすぎれば、最悪合理化として『死』を自身が選ぶかもしれない。
あなたは自分の命と引き換えに、大金を奪えますか?

あと、これは道徳的なことだけど、騙されたほうは時間が経つと忘れられるけど、騙したほうは時間が経つと、より罪悪感が増していくだろうしね。
そういった面でも、騙す側のデメリットの多さが伺える。