共通の感覚について

本屋で、「面白い話し方をする方法」的なハウツー本を見たときに思い付いたこと。
この本を読んで本当に、「面白い話し方」が出来るようになったとしても、もしこの本がベストセラーになったら、
皆がこの本の「面白い話し方」をするようになって、結果的には「面白い話し方」では、なくなってしまうんじゃないか?
だから、ハウツー本というのは、逆に売れ過ぎると困るのでは?と思った。
こう思うと、共通のハウツー本って個性を殺して恐ろしいな、て感じたんだけど、そこで気付いた。
皆が接してる最大のハウツー本って、実は学校の教科書なんじゃないかと。
平等の名の下に、皆に同じ本を読ませ、学ばせる。
まさに最初に挙げた、『「面白い話し方をする方法」のハウツー本』の例と同じに感じた。
平等の教育だからこそ、「常識」という共通の知識が身につくが、逆に個性を没してしまう。
そして学校教育と反するような考えは「常識外れ」として、阻害しようとする風習。
こんな今の日本は、どうなのかね?