0と1じゃない

今さらだけど、体罰問題について。
体罰によって自殺者が出たので、体罰を問題視する。
これは間違っていないと思う。行き過ぎた体罰は、誰が見たって問題だから。


しかし、だからと言って『体罰は絶対悪っ!』、『体罰する先生はクビ』みたいな風潮はどうかと思う。
体罰にしても、要するにその程度が問題なわけで、体罰すべてが悪ってわけじゃない。
そもそも本当に、どんなに低度な体罰でも全面禁止になると、どうなるか?
まず調子に乗ったやつが出てくるね。それと、人によっては本当に、言葉で言ってもわからない奴は居る。
もし「そんなことはない!」と言う奴が居れば、そいつはたまたまそういった人間に出会ってないだけ。
そこで必ず混乱が生ずる。
だから重要なのは、
体罰を『体罰』という一括りにしない事。
感情に任せた体罰を行うのではなく、理にかなった、ごく低度の体罰を行なうべき。これならば、容認されるべきだ。


もっとつきつめていけば、『体罰全面禁止』を叫ぶ奴は、死刑制度にも反対しなければおかしい。
だって、死刑だって要は「罪を死という暴力」で償うわけだから。
体罰」=「悪」と思うのであれば、体に死傷を負わして罪を償わせる「死刑」という制度も、「悪」のはずだ。
こいつらの主張では「体罰では何も改善しない」とある。
じゃあ究極の体罰と言える「死刑」で、罪が償えるわけがない。
おかしいことだ。
しかし体罰の場合は、その行き過ぎた場合が問題になる。死刑囚と違い、そこまで罪を背負っているわけじゃないからね。
じゃあ体罰は駄目か?と言うと違う。やはり程度の問題で、『適切な体罰』というのはやはり実在する。
親が悪さした子を叱って尻ペンペンする行為は、行き過ぎなければ『愛』だ。
しかし尻ペンペンされなかった子は、それを悪さと知らず、後々になって怒られる。
それがもしかしたら、ちょうど体罰という形かもしれない。
じゃあ子ども時代にペンペンされる代わりに、その人から愛の鞭を受けることになるんだから、あまりにひどい体罰でない限りは了承するべきだ。


人間は機械じゃない。
決して「0」と「1」のみで出来ているわけじゃない。
だから、全ての情事を「良い」「悪い」のみで分けようとする事自体がそもそも間違ってる。
人間は「2」や「3」、「4」などの、「0」「1」に絞らない選択肢を何事に対しても持つべきだ。