働くことのジレンマ

生活がもっと豊かで、便利になるようにと働く。馬車馬のようになって。
結果、確かに一昔前より物は溢れ、便利になった。


しかし生活の方はどうだろう?


いくら生活が便利になったとはいえ、現代の社会人は一昔前より休みが少なく、自由な時間すらない。


便利さを求めて働き、より自由な時間を手に入れようとした結果、逆に不自由な生活を強いられる。



特に家電業界は顕著だ。
毎年、新型モデルを開発するのを強いられる。


それが仕事だからしょうがないかもしれない。
けれど、無駄な機能や無理なアイデアばかり取り入れられ、あまり変わらない気がする…。
たとえ革新的なアイデアで新型モデルを作り上げたとしても、来年にはすぐに次の新型モデルを求められる。


しかし仕事だからしょうがない、と繰り返す。
その先に終わりがあるようには見えないけど。
家電の進化はどこまでいったら、終わりがあるんだろう?


まるで「目の前に吊るされたにんじんを、食べようとして歩かされている馬」のようで、キリがない。


しかし止まってしまったら、そこで修了。進化がない。
生物的に進化がないのは死んだも同然かもしれない。
それに仕事がなくなってしまう。それだと職を失い、例えじゃなくて本当に死んでしまう。
だから、新型の開発・研究はやめない。ずっと。永遠に。


けどその答え・出口はちゃんとあるんだろうか?


結局、働くって何だ?