25年生きて思ったこと

今年の7月5日、つまり今日でついにぬ〜べ〜と同い年になってしまった。
小学生のときに読んでいた漫画のキャラと同い年になるというのは、何とも感傷深いものがある。


そんなことはいいとして、齢25年、思い返すと25年生きただけあり、色々あった。


そしてこの年になって分かった事を、何となく書いてみた。


人間、若干20歳から「大人」とするには、あまりに幼い
現在の人間の寿命は80年くらいはある。
そんな中、人生の半分にも満たない20歳で『大人』と称すには、あまりに殺生だと思う。
実際、20歳を過ぎても幼い人というのはいくらでも居る。*1
しかしそれは、彼らが悪いのではないと思う。
20歳になれば強制的に「はい、あなたは20歳になったから、今日からは『大人』です」
と強制する、世間が間違っていると思う。
そもそも、人間には必ずしも個人差がある。運動の得意・不得意、計算の得意・不得意、
果ては人間づきあいなどの精神面からしても、その個人差というのは大いにある。


そんな中においても、「20歳になったら『大人』」というルールが、世間には絶対的に存在する。
いくら肉体的・精神的に個人差が在ろうとも、それは絶対だ。
それはいくらなんでもおかしくないか?
誰しもが16歳になれば高校へ行くわけではないし、19歳になって大学へ行くとも限らない。
20になったからと言って、誰しもが働き始めるわけでもない。
それでも20歳は『大人』なのだ。
尤も、30、40になっても礼儀を知らず、見ていて思わずギョッとする人というのは大勢いる。
他人に所構わず罵詈雑言を浴びせる中年は居るし、「マナー?なにそれ?」と見知らぬ顔で列を横入りする者も居る。
しかし、これらは彼らだけが悪いのではなくて、『大人』と決め付けてしまっている世間も悪いのだ。
彼らはいわば『子供』であり、決して『大人』ではないのだ。



人間の『欲』に果てはないという事
これも思った。
性欲・食欲・睡眠欲はもちろんのこと、物欲や名誉欲、これらは求め続ける限り、キリがない。
だか重要なのは、いかに欲と幸せに対し、踏ん切りをつけるか、ということ。

欲を求めるのは他人と比べて、より自分が幸せでありたいという願い、いわゆる相対的な『幸せ』があるからこそ欲は存在する。
自分は相対的な「幸せ」のラインを超えていたい、と願うからだ。
そして誰しもが「自分」は特別な存在であり、だからこそ「幸せ」を強く願う。
しかし相対的な視点を除くと、そもそも「幸せ」ってなんだ?ということになる。
大金持ちになる事だろうか?
大金持ちのイメージは、毎日美味しいご馳走をたらふく食べ、広くて大きいに家に住み、質の良い家具や家電に囲まれて生活する。
確かに幸せだといえる…だろうか?
そもそも、「美味しいご馳走=幸せ」ではないし、「広くて大きいに家に住む=幸せ」でもない。
では、何が「幸せ=」なのか?答えは実にシンプルなのである。


「幸せ=()」の()を、自分で決めてしまえばいいのだ。
その()の中はなんでもいい。本当になんでもいいんだ。
例えば(天気が良い)ことにすれば、あなたは晴れの日ごとに、幸せになれるだろう。*2
そしてその幸せは、あなたの思う強さの度数によって世間一般による「美味しいご馳走=幸せ」の「幸せ」にも値するだろうし、それ以上の「幸せ」にも鳴り得る。
ようは気持ちの持ちようであり、
他人が思う「幸せ」を、あなたが「幸せ」であるように思う事は、決して必要ではないのだ。


だから重要なのは、いわゆる世間一般がいう欲に対し、自分がどう立ち会い、どう踏ん切りをつけるか。
例えば、あなたは毎日のように高級な食材を食べ、幸せに思うかもしれない。しかし、それは本当に幸せだろうか?
その「高級な食材を食べる=幸せ」という概念の根底は、「高級な食材を食べる事が幸せという世の中のイメージ=それを実現している自分は幸せ」の様になっているのではないだろうか?それでは高級な食材を食べる事が幸せなのではなく、世間の言う幸せを自分の幸せの様に思っているだけで、洗脳されているのと変わらない。
だから、「高収入=幸せ」だとか、「価格の高い物に囲まれた生活=幸せ」とは考えなくてもいいのである。
たとえボロアパートであってもそこで暮らす事が幸せだと捉えるならば、それは高級マンションで幸せに思い暮らす事と何ら変わらない。
そういったことに世間は、自身の欲の眩しさで目が眩み、いかに盲目になっているのか気付かずに居るのだ。


あと個人的に思う、本当にベストと言える幸せは「幸せ=(他人にとっての幸せ)」なのだと思うけど、さすがにこれは難しく、
偉いお坊さんでもない自分には敷居が高いw
ドラえもんに出てくるのび太は「他人の幸せを願い、他人の不幸 を悲しむことの出来る人物」と称されていた。
それは、のび太が実はとんでもなく素晴らしい人徳者なのだと言う事を表わしていると思う。それを見抜いたしずかパパはすごいよ。



どこかで見たコピペの

1 :('A`):2006/10/26(木) 23:40:47 0
通常の人間は異性やセックスなしでは生きていけない。
恋人となる対象に依存しなければ精神の安定を保てない
喪男はその孤高の精神をどうやって手に入れたのか?


21 :('A`):2006/10/27(金) 00:16:04 0
だっておめぇ
とんかつ食ったこと無い人が
トンカツ無しじゃいきてけねぇよ
なんていわねぇだろう

は本当に言い得て妙だと思う。
人は自分が知らない、もしくは体験した事もないくせに、その「幸せ」を追求したがるが、それは必ずしもあなたにとって「幸せ」ではない。
無理に「幸せ」を追わず、無理に「幸せ」を理解しようとする必要はないのだ。
「とんかつ」を食ってから、初めて「トンカツ」を好きになってもよい。
幸せとはつまり、そういうことだと思う。

*1:自分を含めてw

*2:万人にとって「良い天気=晴れ」とは言えないが