適正価格の大事さ

飲食業で働いていると、思うこと。


例えば、弁当屋
400円の弁当を売っているが、現場で作っている側としては「400円以上の物をお出しする」という意気込みで弁当を作っている。
これはとても良いことだし、素晴らしいと思う。


しかし厄介なのは、そういう環境が当たり前になると、
今度は客側の意識が「たかが400円の弁当を買う」と言う事から、
「400円も出して、そのお弁当を買ってやる」という、上から目線になること。たかが『400円』の弁当に対してだ。


これはつまりどういう事かと言うと、客側が『400円の弁当』に対して『400円以上の価値』を、たかが400円の弁当に求めるという事。
これによって起こることは恐ろしい。
こういう状態に陥ってしまうと、企業側は顧客満足を得るために、『400円の弁当』で『400円以上の価値』を売り出さなくてはならなくなる。


シワ寄せは何処にいくか?答えは簡単。現場での働き手だ。
『400円の弁当』で『400円以上の価値』を提供する手段は、簡単に言えば二つ。
品質をより向上させるか、より値段を安くするか。
そして、どちらにもいえることが、結局痛い目を見るのは現場での働き手だということ。



品質を向上させる=今までと同じ賃金で、より厳しいルーチンワークが課せられる。
弁当自体の値段を安くする=働き手の賃金を減らすことで、企業側の収益のバランスをとる。*1


つまり元をただせば、「400円以上の物をお出しする」という、本来であれば素晴らしいと思えるような、
この意気込みが諸悪の根源であり、悪循環の元なのである。
だから声を大にして言いたい。
「日本人の良い所は、価格以上の物を提供することだ。しかし、時に価格以上の物を提供し過ぎると、反ってそれは悪循環を招く種になる」と。

頑張り過ぎるのも、日本人の良い所であり、悪い所であると思う。
そして、『400円の弁当』には、あえて『400円の弁当』という価格に見合った物を出すという姿勢も、大事なことだと思う。
正しいと思って行った事で、自身の首を絞めるのは、あまりにも哀切な事だとは言えないだろうか?

*1:賃金を減らすというのは、働き手により多くの無料労働を課すという意味でもある